写真は弱い
宇都宮美術館での展示を観た。絵画、工芸、書、写真が同じ会場に展示されていた。感想は一つ、「写真が弱すぎる」。
絵画や工芸と並べると、今回の写真、といっても毎度変わり映えしないのであるが、は弱すぎる。サイズも画としての強度も弱い。とても同等に観られるものではなかった。
他のものは創造物と言っても過言ではないだろうが、写真は「借景」である。目の前にあるもの、光を反射するものしか写すことができない。撮影者の頭の中を具現化する写真もあるが(ウツユミコ、森村、やなぎみわ等)、それらは美術家の作品としての写真である。美術家が頭の中のイメージを具現化するために、絵筆や粘土を使うのと同じように写真を使っているだけ。今回の展示のような風景やスナップ等の写真とは、その成り立ちが根本的に異なる。
とはいえ、地方の写真といえばこんなものだ。写真の先生といえば遥か前に定年したようなご高齢の皆さん、県内の写真コンテストで名前を見ることが多い人たち。昭和の写真のまま止まっている。しかし、そのような人たちを先生と呼び、いまだに昭和の写真の内容を繰り返し話している。その写真は「美術」という括りで良いのか?
こうした写真は、写真のみの展示でしか生きられない。2mの絵画とせいぜいが大四切の写真とどうして同じ目で見ることができよう。作家の頭の中をキャンバスいっぱいに数ヶ月かけて描いた世界と、ほんの1/250の出会い頭で写し、数分間PCで定番の処理をした写真を同等に観られる訳はない。
写真の弱さを再び見せつけられて、肩を落として帰路についた。
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