カメラマンと写真家

依頼を受け、依頼主の希望を叶える撮影をするのが、カメラマン。

自らの内にある何かを写真で表現するのが、写真家。そこに経済的な観念は不要です。

カメラマンの写真は依頼があって成り立ちます。写真家の写真の成り立ちは自らの内から発生します。この二つの呼び名に上下はなく、ただ写真を撮る立ち位置が異なるだけです。

東松照明さんがどこかで「撮りたいものがあるならば、金を払ってでも撮る」と書いていました。これは、写真家である自負と宣言のようです(実際、東松さんは沖縄の写真を撮るべく沖縄に移住しました)。

私の撮影は、依頼主のやりたいことを実現するためにあります。そして、依頼主の想像(希望)に何かを加えて(+α)、撮影し、結果として写真を返します。依頼を受けて自分が撮れる写真を模索し、思考します。そこに私の撮影の意味があります。もちろん、依頼の上で撮影にはギャランティが発生します。しかし、ギャランティの大小で撮影の結果に変わりはありません。それが私の撮影に対する考えだからです。

そして、依頼主がいる私の写真は、どんなに私が試行錯誤したものであっても、依頼主の写真です。

どんな写真であれ、私が撮る写真である限り、私自身がそこに現れているのも事実です。「写真は表現」と声高に叫ばなくとも、写真には撮影者が写りこむ、そう考えています。

私は写真家ではありません。カメラマンです。

猪瀬写真事務所

益子町にある猪瀬写真事務所のサイト less is more 個人様の家族写真から、各種団体のイベント等の撮影まで (作例は上記メニューの「肖像写真と家族写真」「Works」へ)

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